ポニポニピープル Dialogue 002 鶴岡章吾

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ポニポニのデザイン制作プロセス

菊地玄摩 「うずうずマイン」のこうしたあり方は、やっている途中で気がつきましたね。全般的にポニポニのデザイン制作には、こうした側面があります。

鶴岡章吾 そうだと思います。プロセスがすごく面白いですね。もちろん最終的なアウトプットが社会にどう影響するかを考えるわけですが、考え方や感じ方といったプロセスの部分も含めて、社会にどう影響するかを考えるところは独特です。

菊地玄摩 一般的には何かを一つの形として出すことは結論を出す、と捉えられるのかも知れませんが、「うずうずマイン」や「にんげんフェスティバル」では、アウトプットを終わりではなくて始まりととらえてやっていますよね。次の「にんげんフェスティバル」のビジュアルが気になっている鶴岡さんは、すでに次を見越した動きの中で物事を考えている。僕も一緒ですが、自然にそう考えている。にんげんマークという新しいキャラクターを作っているとすると、そのキャラクターを作って終わりではなくて、形を与えた時点がそのキャラクターの人生の始まり、と言ったらいいでしょうか。
「うずうずマイン」のポイントも、そこで過ごす人々の「時間」を作ることができるかどうかという関心があると思います。人々がそこで過ごしているときはもちろん、そこから離れたときにも持続する強度を持った「時間」が、場としてのうずうずマインの存在感そのものです。どんなポイントを抑えたら、こうした「時間」が生まれるのかに対する感覚は、さすがコミュニケーションのことをずっとやられてきた方だなと思いました。この仕事によい名前が欲しいところですね。グラフィックデザインだと、すこし違う気がします。

鶴岡章吾 いや、僕もそうだなと思いましたね。どう持続させるのかに対する意識は「にんげんフェスティバル」に関わる中で変わっていきました。 お客さんに手渡して終わりで本当にいいのか。そうではなくてこの先どうしましょうか。そんな話をお客さんとすることが増えた気がします。

菊地玄摩 ポニポニの仕事とは別の仕事でも、そういうことがあったということですか。

鶴岡章吾 はい。これを作ってくださいで終わる仕事はたくさんありますが、それでも「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。この取り組みはここで終わるような仕事じゃないですよね」という話をしていきたい。こうして考え方を変えると、グラフィックの作り方が全然違うものになり、制作物そのものが変わって、アウトプットの形態も変わっていきます。

菊地玄摩 なるほど。ポニポニの仕事を手がけているシロノマ社が大牟田にあることで、日常の仕事の延長でデザインをお願いしたつもりが、まったく予想だにしないところに連れていかれるなんてことが、広まっていきそうですね。

鶴岡章吾 そうなったらいいですね。正直なところ、僕たちが作ってるものが正しいかなんてよくわかりません。でも、やっていくうちにいいものだと立証されるものもあれば、変化しないと駄目なものも見えてきます。変化が悪いわけではなく、常に道半ばだと、自分の中で腑に落ちてきています。

菊地玄摩 「にんげんフェスティバル」の直前は、印刷やアウトプットの締め切りでハードでしたね。ですが、この先も回転し続けている姿が見えていて面白かったです。これを読む人も、「にんげんフェスティバル」のいろいろなアウトプットの背景に、ここで話されたような事情があったことを含めて楽しんでもらえたら嬉しいです。

鶴岡章吾 他のポニポニの取り組みも含めて、プロセスを見ていただくと一番わかりやすいと思います。様々な社会的取り組みを実装するときに、同じことは通用しないでしょう。ですが、こうしたプロセスを下敷きにして問題を解決していくことはできると思います。結果の答えだけを真似するのではなく、プロセスを真似してください。きっと、結果や答えは全くの別物になると思いますよ。

菊地玄摩 そうですね。鶴岡さんが大牟田に戻ってきた頃の話からはじまり、これまでの経験を語っていただいて、これはポニポニらしい状況なんだな、という話も多かったのですが、一方で再現性がない話も多そうですね。鶴岡さんが大牟田に戻ってきたことも、僕が鶴岡さんと出会えたのも、偶然が作用しています。そこは大牟田でしか起こり得なかったストーリーなのでしょう。

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