ポニポニピープル Dialogue 003 菊地玄摩
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ポニポニのウェブサイトを中心に、にんげんフェスティバルや労働供給制約社会などプロジェクトのメインビジュアルもデザインされている菊地玄摩さん。ポニポニとプロジェクトを共創していく中で、ユニークな表現とプロジェクトの本質を表現する事、またそこにたどり着くまでのプロセスも語っていただきました。
(2024年5月1日収録 / 聞き手・鶴岡章吾)
ポニポニピープル
菊地玄摩さん
アルス・エレクトロニカが面白くて
鶴岡章吾 よろしくお願いします。菊地さんの生い立ちや会社の話も別の機会に掘り下げれたら良いなと思っていますが、今回はポニポニとの関係性などをお聞きします。一番最初の知り合うきっかけは何だったのでしょうか。
菊地玄摩 原口さんがメールをくれたのがきっかけです。2021年の6月25日ですね。ポニポニをやっていて、新しいことを始めたいので話をする時間をもらえないでしょうか、という内容でした。
鶴岡章吾 原口さんは何をきっかけに連絡をしたのか、聞かれましたか。
菊地玄摩 そのメールにアルス・エレクトロニカについての記事を読んだと書かれていて、それで見つけてくれたんだな、と思いました。
鶴岡章吾 少し遡ってしまいますが、アルス・エレクトロニカとの関わり合いはいつ頃からですか?
菊地玄摩 2011年に初めてアルス・エレクトロニカ・フェスティバルへ行きました。
鶴岡章吾 2011年のときの菊地さんは、立ち上げた会社で代表取締役をされていたんですよね。
菊地玄摩
いまの会社(ユニバ株式会社)には大学生のときに創業メンバーとして加わっていて、それは2003年です。代表取締役になったのが2009年からで、アルス・エレクトロニカ・フェスティバルに行くのはそれから2年後ということになります。ユニバ社のメンバー何人かを誘って(フェスティバルの開催されるリンツ市のある)オーストリアへ行きました。
当時のユニバ社はウェブ制作会社としていろんな広告仕事をやっていて、「こういうの出来ますか?」という相談を日々もらっていました。ディレクターやプランナーのアイディアを実現できるか、という技術的な相談です。そしてそのためのリサーチをするのですが、大抵メディアートの作品に行き当たるんです。例えば2010年頃だとiPhoneが広まり始めていて、地図を使ったゲームに参加できたら面白い、というような企画が多かったのですが、アルス・エレクトロニカがGPSゲームに賞を与えたのは2000年です。総じて広告業界がメディアアートのやってることを追いかけていた時期で、そういう流れもあって始まりました。
鶴岡章吾 映像やアートのつながりでアルス・エレクトロニカに行かれたと思っていたのですが、一回仕事を経由するんですね。
菊地玄摩 テクノロジー的な面白さを見たいという期待に応える仕事になっていたので、アルス・エレクトロニカのように「アート・テクノロジー・社会」をテーマにして、新しいテクノロジーに関心を向けつつ同時に社会性もあるような視点から学ぶことは、とても重要になっていました。2006年までは学生として作品を作っていて、それがメディアアート方面だったので、そろそろ仕事とくっつけようと思い始めた時期でもありそうです。
鶴岡章吾 アート作品としてのデジタル技術と、社会に実装できるデジタル技術とは、違うものなのでしょうか。
菊地玄摩 ヨーロッパには新しいテクノロジーに対してすごく懐疑的だったり、警戒する文化があると思います。例えばデータプライバシーについてとても厳しいですよね。アルス・エレクトロニカはそんな土壌で、その時代の社会課題を捉えて突破していくアーティストや事例を意図的に集めていると思います。僕自身も学生のときより、そういう視点で作品を見られるようになっていました。どんなものが集められているかは資料からわかる部分もあるのですが、なぜ、どういう考えで集めてくるんだろうというのが一番興味のある部分でした。
鶴岡章吾 アルス・エレクトロニカには毎年行かれてますか?
菊地玄摩 2011年から2020年まで毎年行ってました。最後はパンデミックで行けなくて、そこから行ってないです。
鶴岡章吾 そして、2021年に原口さんから連絡がきたと。
菊地玄摩 そうですね。アルス・エレクトロニカを面白がって書いてきたレポート記事や振り返りのイベントが、原口さんに見つけてもらうきっかけになりました。
鶴岡章吾 連絡を受けて、お話しましょうということですよね?
菊地玄摩 そうですね。オンラインで1時間ぐらいだったかな。とりあえず話しましょうということで。