ポニポニピープル Dialogue 003 菊地玄摩
(5/6)そこに立っているもの
鶴岡章吾 「にんげんフェスティバル」の会期中、イメージしていたフェスティバルに対して、会場で感じる印象はどんなものでしたか?
菊地玄摩
制作者としてはそれこそ神経質になる時間がなかったので、細かいところはイメージできておらず、ふらっと訪れた人みたいに「こんな空間、雰囲気なんだ」と楽しませてもらいました。印象的だったのは「にんげんフェスティバル」と呼んでもらえている感じがしたことです。いろんな人が、その人自身の体験をにんげんフェスティバルと呼んでくれたというか。
僕が悲しい仕上がりだなと思うのは、運営側のつけたタイトルが、全然呼ばれていなくて、ビジュアルもかっこいいんだけど、悪い意味で浮いていて飾ってあるみたいな状況です。そういう意味では、来てくれた人たちが自分はイベントの参加者だと感じて、それを「にんげんフェスティバル」という名前で呼んでくれたり、ステッカーを身に着けてくれたり、「来年もあったらいいね」と言ってくれるというのは、最高の評価だと思います。それに近いものを感じていました。それは、ゲストからも運営を一緒にやってくれた人たちからも感じました。
鶴岡章吾
そうですよね。名前も含めて、全体的に雰囲気がマッチしてしました。やっている人たちも本当に楽しんでる感じが、会場全体の雰囲気としてありましたもんね。
会場というと、今は「うずうずマイン」という名前ですけど、当時はついてなかったですね。建物自体にも菊地さんのアイデアで穴をあけていました。建物についてもいろいろ考えられていたと思うんすけど、会場を実際に見てどうでしたか?
菊地玄摩
「うずうずマイン」のビルを縦に貫く穴は大庭早子さんのアイディアで、僕はフェスティバルに行って体験できるメニューの一つとして、その「穴と関わる」体験を作れたらいいなと思っていました。「それを通過するとポニポニ空間に入ったように感じる」体験が何かないかなと思ったときに、穴を見上げる、上の階に向かって呼びかける、というイメージに行き当たりました。「にんげんフェスティバル」ですから、誰にとっても直接的で、解釈の余地が無限大の「にんげん」と対応できるような感覚がないかな、と思っていました。
でもそれは、フェスティバルのためにあるというよりは、フェスティバルが終わっても続いて、「本当にあのビルには穴が空いている」「夢じゃなかった」となったときに真価を発揮するものとして、大牟田の日常になるといいなと思っていました。英雄の像を立てることの逆で、「普通のビル」でそれが起こり、しかも「空白のほうに意味がある」のはすごいコンセプトだと思います。
その事は、「うずうずマイン」のサイトで説明すらしてないですし、フェスティバルの文脈でもあまり積極的に取り上げていませんね。フェスティバルの段階で、どのぐらいビルが仕上がるかが分からなかったという事情が一番大きかったと思いますが、無理をする必要もないと思っていました。フェスティバルでなければできない非日常の体験も大事なのですが、ポニポニのやることについては「本当に社会が変わるんだ」という、日常と地続きになっているリアリティが必要だと思います。「社会システム変えます」と言いいながらお祭りだけやってたら、片手落ちじゃないですか。
「うずうずマイン」のずっとそこに立ってる佇まいの力はすごいと思います。それはフェスティバルが終わっても続いていく。「うずうずマイン」がそういう意味で、非日常と日常を繋いでいくものになったら良いなと思います。
鶴岡章吾 そうですよね。今、「うずうずマイン」があることで、一般の人たちが繋がれる余白があります。そういう場所になっていますよね。
菊地玄摩 リンツのアルス・エレクトロニカ・センターみたいですね。大牟田のアルス・エレクトロニカ・センターには装置としての穴がある。
鶴岡章吾 やっぱりそういうシンボルになり得る場所は、必要なんですね。
菊地玄摩
ポニポニの目指してることや設定している問題は、普遍的で、言ってしまえばどこにでもあって、やってる人もいっぱいいるような気がするんです。でもそれを一般社団法人として、大牟田という土地に根ざしたものとして立てようとしている。そこが凄いと思うんです。
例えばですが、何かの目標のために人が集まっているとして、それが別々の会社から来た人たち同士だとすると、それぞれが背負った組織の事情から抜けきらないと思うんですよね。個人のやる気や熱意に関わらず、そのグループの成り立ちによって運命づけられている、構造的な限界がある。
僕の所属している会社としてのユニバ株式会社も、ソフトウェアやウェブサイトを作るという実務の上では個人事業主の集まりで良いはずなんですけど、それではどうも迫力が出ないなと思っています。あえて株式会社です、登記されています、決算出してます、会社としてハンコ押せます、というひとつひとつは本質的ではないとしても、それを積み上げてやっているからこそ出てくる説得力がやっぱりある。
ポニポニは、縦割りじゃない、大局を見たプランを出せる、暮らしてる人の実感から物を言える存在を目指していると思うのですが、それをどこから言うかというときに「大牟田に法人があります」と「有志が集まっています」とでは、全然違うことなんじゃないかと思います。そこに実際お金入れるか入れないか、というシビアな話であればあるほど、違ってくると思います。
だからまずポニポニが立つ、そこから話していくというのは、とてもすごいことだなと思っています。さらにビルがある、物理的に存在することは、もっとすごいことだと思います。個々のプロジェクトの取り組みはもちろん大切なんですけど、それをやる主体を法人化する、ビルとしても立たせる、というのは、ポニポニの理念が社会の中で公式の手続きによって、目に見える形で場所を占めるということですよね。
必要かどうかというと、なくてもできることは沢山あると思うのですが、ビルがないとできないことも恐らくあって。大きなパワーがないと動かないものは、「うずうずマイン」を使うことによって動かせる可能性が出てくる。「あるとより凄い」というふうに僕は捉えてますかね。
鶴岡章吾 確かにそうだなと、今のお話を聞いて思いました。説得力とか見え方が変わってくるということですね。