ポニポニピープル Dialogue 003 菊地玄摩

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ポニポニかポニポニじゃないか

鶴岡章吾 そうですよね。菊地さんがポニポニの人じゃないんだって、僕は途中で気付きました。一番最初のメールで、ポニポニという団体がある、という話はされていましたが、内部的なミーティングでも、ブランドをコントロールしているのは菊地さんという印象が強くありました。仕事を依頼する側と受ける側、という関係性とはちょっと違うように感じましたね。

菊地玄摩 自分がポニポニかポニポニじゃないかというのは、僕はあまり意識していないのですが、実際には立場の違いはあります。でも、踏み越えなければいけないときがあると思います。また「にんげんフェスティバル」の話ですが、当初「ピリオド」というタイトルが提案されていました。ポニポニがフェスティバルをやって、いろんな人をそこに巻き込んでいく状況を考えて、どうなっていきたいのか、どうなると来てくれた人、巻き込まれた人も嬉しいのかを組み立てていくときに、名称の佇まいやそれの持っている本性を避けて考えることはできなかったんです。だからそもそも何でやるんだっけ、それをやってるポニポニってなんだっけ、という話に立ち戻りながら僕なりの解釈をポニポニメンバーに言います。それを続けてるんでしょうね。

鶴岡章吾 普通だったらポニポニ側からそれが出てきて、どういうふうに接続していくのかということかなと思うんですけど。それが逆転とまでは言わないのですが、相互性がすごくあるなと思いました。

菊地玄摩 ポニポニと仕事を始めた最初の半年間にアウトプットまで辿り着けなかった理由は、今振り返るとこういうことかと理解できる部分があります。何か言いたいことがあり、そのための器としてフェスティバルがあって、それをどう表現しようか、という順序ではない、ということです。「湯リイカ」であればウェブサイトなどの器がまずできて、そこで初めて対話のための空間が存在するようになる。見える見えないの差を作ってるのではなく、有る無いまで踏み込んでやってると自覚するようになりました。「目に見えないけどあるフェスティバルに形を与える」ではなくて、「どうやってフェスティバルがこの世に誕生できるか」という気持ちの構えになると、あとはいろんな選択が自然にできるようになります。「X」という何かを扱うなら「X」自体を生み出そうという気持ちで取り組むようになりました。
そこからさらに造形的な冒険をしなくちゃいけないのは大変ですけどね。そのエネルギーが残ってません、とならないようにしないといけないので。

鶴岡章吾 0から100までやってるような感じですね。

菊地玄摩 0から100へ行くまでに、何段階かギアチェンジが必要ですよね。「どういう形にしたら伝わるか」を考えることに先立つ不可逆の作業があって、それがその後の仕事を左右するんです。変な整理をすると、後続の仕事の天井を作ってしまう。逆に手前の整理次第で、その後の作業の力をてこで大きくできたりする。
ということもあって、100まで走り抜けるためには鶴岡さんがいないと、パワーが足りなすぎると思っていました。鶴岡さんが来てくれたから良かったですけど、もしいなかったら、たぶんだめでしたね。
でも造形的にはじっくりやる暇がないので、いきなり真っ白い画面にコードを書き始めて、ちょっとポニポニしてきたな、こっちにいってみよう、これ嫌だから捨てようかな、と試行錯誤をして、1週間後にはリリースされるようなスピード感にもなる。野蛮なウェブの作り方ですが、でも楽しいですね。神経質になる暇がない。2000年代のウェブ素朴時代みたいです。
デザインプロセスを全省略で、課題抽出プロセスと実装プロセスに全てのエネルギーを使っていると言うこともできるでしょうか。試行錯誤に1ヶ月あったらもっといいですけど。

鶴岡章吾 今まで見たことがない、面白い制作プロセスだなと思いました。すごく戸惑った面もありますが、今までにない刺激でした。

菊地玄摩 面白がってもらえたならありがたいです。鶴岡さんじゃなかったら怒られてるところですが。

鶴岡章吾 大変でしたけど、面白かったですね。

菊地玄摩 本当に、面白かったのが救いですね。

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