ポニポニピープル Dialogue 004 大庭早子
(5/6)ブラジルで得たマインド
菊地玄摩 またブラジルが出ましたね。大庭さんがブラジルに移住するまでの変遷を教えていただけますか?
大庭早子
大学から東京に出て、建築教育を受けました。家政学部住居学科という、工学部ではない建築学科で暮らしに重きを置いた建築を学んだ後、大学院ではゴリゴリの都市的な建築や建築の社会性を学びました。
大学院の卒業後は、アトリエ系と呼ばれる設計事務所で修行、という建築学生の王道ルート?に乗っていました。ただ、疑問を感じる節はありました。日本の建築は純粋性、分かりやすさが重要で大変だけど充実した日々の反面、給料が低くて休みも全くなくて自分の暮らしをちゃんとできていなくて、東日本大震災の息苦しさと重なってしまって、一度リセットしたいという思いからブラジルに行きました。ブラジルを選んだ理由は、とにかく物理的に真逆。
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菊地玄摩 たしかに地球の反対側です。
大庭早子
軍事政権下で情報があまり世界で広まっていない時代がブラジルにあったので、未知の世界という印象がありました。みんなと一緒が嫌というのもあって、建築を学ぶならヨーロッパかアメリカの西洋建築が教科書的だけど、未知のところで固まってない建築の面白さに触れたいと思ったので、物理的にもヨーロッパ中心というところから離れるために南米が良いんじゃないかなと選びました。
日本は純血に重きをおくけど、ブラジルは混血であることを誇りに思っているんですね。すでに混ざっているからあまり差別とかもなく、なんでも受け入れないと一緒に暮らしていけないという状態にあって。
多少の矛盾があっても、どこに自分が暮らしたいのか、誰と会いたいのか、みたいなところに素直。そして生活と建物が一致しているんです。開放的な性格で開放的な建物。誰でも入ってよくて、街の中でも自分の家のリビングみたいに寛げる人もいっぱいいる。そういう面白さがありましたね。多様性を受け入れるという面では、ポニポニのメンバーもブラジル人なんじゃないかと感じました。なんか肯定してくれるし、受け入れてくれるんですよ。
菊地玄摩 ブラジルに2〜3年行って、戻ってきて事務所を始められました。そこからポニポニに出会うまでは5年ぐらいでしょうか。
大庭早子
東京から一回ブラジルを挟んで九州に戻ってきてゼロから事務所を始めたから、最初は仕事がなくて。何も仕事がないという焦りがあったので、「ちゃんとしなきゃ」に戻っちゃったんですよね。ブラジルの時あんなに「なんとかなるさ」っていう生き方してたはずなのに。
今振り返ると、なんであんなにちゃんとしないといけないと思っていたのか分からないですね。ブラジルをモラトリアムとどこか捉えていて、自分の事務所としてやるからちゃんとしないと、と気負ってしまっていたのか。なんの伝手もなく仕事がないという焦りから、自分が得てきたことを忘れてしまっている時期がありました。ブラジルにいた頃は人目を気にしなかったのに、日本で、自分の名前で設計事務所をやるという時に、自分がどう見られているかを気にしてしまっていました。それに気付かせてくれたのが、ポニポニかなと。
菊地玄摩 事務所を作って仕事を取ってきて成り立たせるのは、大変ですよね。ブラジル帰りであっても、日本の環境に合わせていかないと、売り上げが上がらないという切実さがありますよね。
大庭早子 実績がないとチャンスはないけど、依頼がないと実績は作れないし。そういう苦しさがある中で、ポニポニは実績もないのにビルの改修を依頼してくれたというのもありがたいです。実績重視をぶち壊してくれたという面では、ここに私のブラジルがあったと。
菊地玄摩 ポニポニ側もブラジルに興味津々で大庭さんにオファーしています。
大庭早子 インスピレーションで決めましたって言われて「そんなんで良いんだ!」と思いましたね。
菊地玄摩 建築キャリアから逸脱するようにブラジルに出て、事務所を作って5〜6年取り組み、そこからブラジルを取り戻すというのは、いい話ですね。
大庭早子
最強状態です。笑
今は実績を少しずつ積み上げてきて、精神的にも余裕ができて、言いたいことも言えるようになってきました。仕事がない状態だと、違和感を感じても目を瞑ってしまう面があるんでけど、今は多少主張できる状態にはなりましたね。すごく良いタイミングで、うずうずマインの仕事をできたと思います。
菊地玄摩 最近はブラジルに行かれてるんですか?
大庭早子 1年前に行ったんですけど、来年も行けるように画策中です。
菊地玄摩 現地の友達と会ったりするんでしょうか?
大庭早子 去年は福岡の設計事務所の研修のアテンドで行きましたが、その前後にサンパウロ時代にお世話になった知人や友人に会いましたし、いつもインスタグラムなどでお互いの近況は共有しています。来年は、母校の横浜国立大学とサンパウロの大学でのワークショップを企画しています。
菊地玄摩 なるほど、ブラジルとの交流を広める活動でもあるんですね。
大庭早子 それは常にやってますね。日本で、ブラジルのことを危ないとか遅れていると勘違いしている人も多いので、ちゃんといいところを広めていかないとと思っています。