ポニポニピープル Dialogue 005 村瀬孝生
(6/7)骸になってからが本番
菊地玄摩 ここまでお話した中でも、今から始まるものについて、いくつか予感が感じられます。
村瀬孝生
そうですね。いかにどう野垂れ死ねるかということ、それから無縁者の集団性…的場所であったり。人が最後死ぬときにですね、人は最後までこのシステムのなかで管理され、コントロールされています。人と人とが関わると、それぞれの都合が出てきますよね。その都合の中で最後まで関わり続けるから面白かったりする世界があったりするんですけど、そこからも離れていけるような死のありようというか。猫なんかは、最後に姿を消すじゃないですか。出入り自由にやっている猫なんかは、いなくなりますからね。ああいう死に方みたいなものはあるなと思っていて。
誰からも看取られないけど、生き物は骸になってからこそが出番みたいな世界。「社会」ではなく「世界」の方。「社会」はとにかく、遺体があったら不衛生だから焼却処分した方が集団にとっていいとなる。我々の小さな社会を包摂してる世界の方は、そこからがみんな集まってきますからね。食べる、自分の命にする、そして分解して土に戻る。むしろ、亡くなって骸になった時こそ、世界が自分を命として迎え入れるという分解の世界があって。老人の介護も結局、「食べて出す」という、その分解を手伝っているという感覚がありました。
そのルートを、我々は自己完結的に絶ってしまったんです。死んだ者よりも、生き残る者の公衆衛生を優先してるんだと。そのルートを人間の「社会」は全て絶ってしまって、老いの世界とのコンタクトを失ったんだろうと僕は考えています。うんこだって汚いものとして扱って、莫大なコストをかけて処理しているわけなんですが、それを「世界」の方に委ねると、虫が集まってきて、動物が持っていって、コストをかけなくても、世界全体を成立させる方に戻していきますから。そちらのルートから生活を作ったり、老いを捉え直していくことが、極めて個人的な計画なわけです。
菊地玄摩 僕の知っている犬も、散歩のあいだに抜け出して、そのまま行方不明になって自分の選んだ場所で最期を迎えた、と聞いたことを思い出しました。
村瀬孝生
あの世にいくというのは、交流できない世界へ行くということだと思うんですね。これまで交流してた関係性とは違う次元に行ってしまう。
徘徊死というのは、家族も本人も辛い思いをするかもしれないけれども、犬の綱が離れた時みたいに、最後そこで死んだんだろう、という世界はありますね。うちのおじいちゃん、鍵はかけなかったし、自由の制限はしなかったんだけど、自由にした結果、家に帰って来れなくてどこかで死んじゃった、という世界。
2歳とか3歳の子供ならそうはいかないけど、老人がふらっと出てそれっきり、でも他の命が出迎えて、好きにしてるというところにこそ寿ぎがあるのではないか、という価値観があってもいいんじゃないかと思います。
菊地玄摩 骸になってからが本番、他の命に迎えてもらえるというのはいいですね。楽しみになります。
村瀬孝生 そうでしょ。人間はそこを恐ろしがっちゃうんだけど、喜んで寄ってくる世界があるわけですよ。
菊地玄摩 生きているうちは、そんなに生き物に取り囲まれることはないですもんね。
村瀬孝生 そこで初めて自分の身体が役に立った感じがしますよね。食われて初めて他の命の土台になっていくわけだから。人間はそれを手放してしまって、そこから不幸が始まってるんじゃないか。違う世界から孤立したんじゃないかと。
菊地玄摩 なるほど。楽しみを自ら絶ってしまったというか。いい場面が失われてしまったのかもしれないですよね。
村瀬孝生 最後の晩餐というのは、そういうもののような感じがします。自分が食べ物になって、他のものから食われるという。それが肉体を持つもののクライマックスですよね。それを人間は手放したんだなという。そこから、思考の中に不幸が始まってる気がします。
菊地玄摩 なるほど。これからシステマチックなものから解放される感じはありますか。「よりあい」の村瀬さんとは違うモードになれそうでしょうか。
村瀬孝生 それはそうですね。結局「よりあい」というところは、社会から対応しきれなくてはみ出した人たちの集団だったので、その人たちの集団の方に身を置くことで、今の社会のありようを眺めてきたところがあると思うんですね。そんなに気楽には眺められなくて。社会の方のシステマチックなところと、そこから排除されてしまった人にある乖離みたいなものに悲しみがあるし、悲しみと混乱に付き合う家族が非常にしんどい思いをする。そこの乖離をいかに小さくするかというところに結構な時間と体を使ってきたところがあって。そこは大変なんですよ。乖離が大変なんです。深い谷があって、それをより小さくするところが今の社会だからこそ大変。そういう意味では、今の社会を支えているというか、システマチックな社会を維持し続けているわけです。そこからお役御免になるというところに気楽さを感じています。お役御免になるというのが、老人の特権ですので。今の社会は、それを老人にさせてくれないじゃないですか。年金を引き伸ばそうとしたり、元気に働くことを老人に要求してきているので、早くそういう仕方の包摂から逃れたいという。
菊地玄摩 なるほど。システマチックなものからはみ出してしまうところの間を埋めることは、ある意味そのシステム自体を維持しているということなんですね。
村瀬孝生 そうですね。老人だからこそできることを、今の社会だとさせてもらえない。
菊地玄摩 村瀬さんが、老人をやる、と。
村瀬孝生 そこにポニポニの皆さんが興味あるとか、面白がるという世界で繋がれたら、喜びでしょうね。
菊地玄摩 そこは、大丈夫な気がします笑。楽しみですね。