ポニポニピープル Dialogue 005 村瀬孝生

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ごきげんよう、うずうずマイン

菊地玄摩 余談ですが、ポニポニは「うずうずマイン」の建物から出ていくことになり、ごきげんようイベントを土曜日に開催する予定になっています。

村瀬孝生 言葉のチョイスがいいですね。ごきげんようというのが。

菊地玄摩 山内さんが作ってくれました。

村瀬孝生 でもこの日は山内さんと一緒に東京で、行けないんですよ。

菊地玄摩 あれ、そうなんですね。普通は建物が完成したときにやる内覧会を、あえて終わる時にやる、というものなんです。

村瀬孝生 すごい。面白いねー。なんていうんだろう…結局、「出て行く」というところがいいよね笑。

菊地玄摩 望んでというよりは出ざるを得なくなったんですけど、終わり方をみんなで作っています。

村瀬孝生 よくわからないですけど、もう直感的に、だから僕はポニポニが好きなんですよ。包摂しきれないんですよ。今のスケールメリットだったりの経済合理性が最終的には包摂しきれない、というところにポニポニの良さがあるんだなという風に勝手に思ってます。

菊地玄摩 大庭さんが終わりを想定して仕込んでいて、一部は剥がされて、次の命になります。いろんなものが引き継がれて新しい「うずうずマイン」になる。そのあたりも楽しみにというか、一緒に育てて行ければいいなと思っています。

村瀬孝生 なるほどね。

菊地玄摩 大牟田駅前の「うずうずマイン」がなかったことにはなりません。

村瀬孝生 取り込まれていない証拠ですよね。システマチックな社会が取り込んだと思っていたら、未消化便になって出しちゃう、という。包摂されきっていると、新しい共創は実現できないでしょうから。そういうところに僕は無縁者的な世界を感じるし、未消化便となって、だけど存在し続けるというね。ポニポニの本質であってほしいと思いますね。そこにいる側は、深い谷に立たざるを得ないので大変でしょうけど。エールを送ります。

菊地玄摩 そういう風に受け止めてくれる方がいることが、励ましになると思います。ところで、山内さんは来ないんですね。

村瀬孝生 そういうのも含めて面白いですよね。この人がいないと始まらないのに、いないというね。笑

菊地玄摩 それで成り立つところも、らしさですかね。

村瀬孝生 そうだと思います。

菊地玄摩 ただのイベントの連絡のつもりが、面白かったですね。

村瀬孝生 ポニポニは社会の未消化便であるという笑。最後にこういう形でポニポニのお話ができたのはよかったです。

菊地玄摩 消化されない、と。

村瀬孝生 そこに価値があるということですね。消化されちゃったら、そっちの方にエネルギーが取られちゃいます。

菊地玄摩 本当にそうですね。今回は、このへんで。ありがとうございました。

村瀬孝生 ありがとうございました。

おわりに

菊地玄摩 村瀬さんの著書を読んだりお話を聞くとき、まるでそのエピソードの中に入ってしまうような感覚を覚えます。その景色の中で私はいつも、「確かに私たちはこんな存在だ」と自らを客観視するような、これでいいんだと赦されるような、不思議な気持ちになります。そしてその「体験」に助けられて、こうしよう、こっちだ、と奮い立つ経験を何度もしてきました。ポニポニに関わる人々の多くが、苦しいときや迷ったときににそうしているのかな、と思ったりします。
「村瀬ワールド」はそんなふうに人々を助けていると思うのですが、今回はそうではなく、その語り手である村瀬さんにとってポニポニがどんな存在なのかを、ぜひ伺いたいと思っていました。それにどう近づけばよいかについては、会話を終えた今もよくわかりませんが、結果的には、私が体験として知っているポニポニと、村瀬さんのポニポニが共鳴して、ところどころで会話の向こうにその顔を覗かせたのではないかと感じています。進行は至らないものですが、これを読む方々の力によって、その姿が見出されることを願っています。

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